前回はフリーターの話をしました。働く能力もあり、学歴もあるのだが、定職にも就かず、アルバイトなどやりながら自由に過ごしている人たちの話しです。一般の健康な人でも、またてんかんに悩む人でも、最近はこのようないわゆるフリーターが多くなってきました。親御さんの注意や心配も全く意に介しません。「親の心子に通じず」というのを痛感します。
ここで親と子の関係について考えてみましょう。私は国立精神神経センター武蔵病院てんかん外来で、てんかんの診療に携わっていたとき、外来患者の母親の求めに応じて月一回日曜日に、外来にて懇談会を開いたことがある。これは意外と好評で、たしか数年間は続いたと思う。話は主にてんかんの子供(子供といってもすでに成人に達した方が多かったが)を抱える親の苦労話であり、同じ悩みを抱えて途方にくれている親が出席してくれた。私は単に話の聞き手であり、時にはアドバイザーにもなったが、主に悩み苦しんでいる母親たちが自分自身で解決を模索する集会でもあった。
ここに患者でもある子供をも出席させようとなって、患者自身も懇談会に出席するようになった。そこでしばしば見受けられる風景は、「親と子供は永久に交わることのない平行線をたどっている」ように見えたことだった。親は子供がいかに親の心配を無視して勝手なことをやっているかといえば、子供は反発し、いつまでも「籠の鳥みたいに扱うな」と主張し、両者は決して交わることがなく、結局は黙ってしまうのはいつも親であった。
そのうちに患者である子供たちは、「親と一緒に話していても面白くない、俺たちは俺たちだけで集まろうぜ」ということになった。しかし子供たちだけの集まりは、世話人がいなかったせいで長続きはしなかったが、この懇談会から私はさまざまなことを学んだ。親は障害を持つ子供からなかなか子離れが出来ないし、子が精一杯出来る自己主張は、ふてくされて自棄を起こすこと、そしてそのような子供の信頼を獲得するのには、時間と忍耐が必要なことを学んだ。
このような親子断絶はもちろん、てんかん以外の一般の親子関係でもありうることである。私はその後新潟の国立精神療養所に行く機会があり、そこでてんかん以外の精神科思春期外来の患者を診る機会があった。そこで子供たちが表に出す症状は主に「家庭内暴力」であり、時には夜中緊急に、怪我した母親と一緒に、怪我させた子供が警察官に連れてこられることもあった。これに医療側が対応するには、子供を話し合いの場にうまく引きずりこんで、その後の外来治療につなげることが重要である。
この外来治療に結びつける事に関して言えば、てんかん患者の方が、はるかに容易である。
一般の精神科思春期外来の患者では「治療が必要」ということを子供に納得させるのがまずは困難である。しかしてんかん患者の場合には、少なくとも薬を飲まなければならないということを患者自身すでに了解しているので、たとえ「家庭内暴力」があっても、治療への取っ掛かりがはるかに容易なのです。てんかんの子供をもつ親御さん、決して御心配はいりません。
「成人期てんかんの特色」/大沼 悌一
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