200. 褒める喜び・褒められる喜び(2023年11月号)

 てんかん協会東京都支部に「ともしび 第1号」を掲載し、今回200号を迎えた。第1号は2003年4月だから、もうかれこれ20年と6か月なる。自分でもよく「がんばった」と、自分を「褒めたく」なる。そして散逸するといけないので、東京都てんかん協会の許可を得て、当院の「ホームページ」にすべて載せてある。読者がわかりやすくかつ見やすいように分類してあるので、興味ある方は「むさしの国分寺クリニック」のホームの中の「てんかん勉強室」をのぞいてほしい。

 さて今回は「褒める喜び・褒められる喜び」について私見を述べさせてもらいたい。

 てんかん患者や家族には、いつ起こるかわからない発作への不安が色濃く影を落としている。そしてこの不安は本人より家族に強い。発作中は意識が飛んで、自分がどんな状態になったのかわからないので意外と平然だが、発作を見ている家族は心穏やかではない。それに、てんかん患者さんには、知的なハンデを抱えている方もあり、親の注意も素直に耳に入らないことが多い。

 昔は発作を起こしたり、外に出たりすると怒る親もいたが、今はその様な親はほとんどいない。しかし規則的服薬や十分な睡眠を注意する親は多い。親が注意するのは正しいが、本人がそれを受け入れてくれるかどうかは、本人次第で、ここに軋轢が生ずる。

 私が昔、国立精神神経センター病院で、てんかんの診療に従事していたころ、てんかん患者さんの親から、どうやって患者である子供と付き合ったらいいか、相談を受けることが多くなった。それでは「みんなで一緒に話し合いましょうか」ということになり、月1回日曜日に外来会議室で、相談会を開いたことがある。なかなかの好評で2年ほど続いた。ここで出た相談事は患者である子供は親の言うことなど聞かず、言い合いになるばかりで、親がいかに困っているかという話で盛り上がっていた。そのうち患者本人も入れて、一緒に話を聞いてもらったらいいのではないかということになり、数人の患者さんが親と一緒に参加するようになった。患者さんたちは最初おとなしかったが、そのうち自由に発言するようになり、「いつまでもおれたちを鳥の巣箱に入れておくな」、「自分たちは自分たちだけで話し合いやろう」ということとになり、患者グループは別行動することとなった。そこで私は悟った。「親と子はいつまでも平行線をとり、交わることはない」ということ、そして子供への干渉は「必要最小限度にとどめておくこと」が大切だと思った。

 その後40数年たち、定年後開いたてんかん専門のクリニックは患者数も増え、ついにてんかんクリニックでは患者数日本一となった(読売新聞)。それに伴って、難しい患者さんも増え、適切な対応が求められるようになった。そこで昔の話、「親子は平行線をとり交わることはない」、「干渉は最小限にすべき」を思い出した。

 今回これに「褒める喜び、褒められる喜び」を追加しよう。誉めれば心が開かれる。そして笑顔が戻る。

「成人期てんかんの特色」/大沼 悌一

(この記事は波の会東京都支部のご許可を得て掲載しているものです。無断転載はお断りいたします。)