157.忘れえぬ患者さん(その6)、医者になった患者さん(2016年4月号)

てんかん発作があっても努力すれば伸びる人がいる。今回は発作があっても医師になった方の話をしよう。医師になるのはなかなか難しい。私が高校を卒業した昭和29年ころの話だが、そのころの医師への道は、一般教養2年、さらに医学専門課程4年を終了する必要があった。つまり一般教養課程と専門課程の2回の入学試験に合格する必要があり、これがまた容易ではなかった。高校時代の私はスポーツに熱中し、バスケットボールの選手として全国大会にも出たほどだった。したがって受験勉強はいささか疎かとなっていた。地域の1大学に入り、そこで一般教養課程の単位を取得したが、その間スポーツとは一切縁を切り、医学部専門課程の受験のため、ほぼ毎日12時間以上の勉強に専念した。おかげで医学部に合格したが、それぐらい受験勉強には時間を割かなければならなかったのである。今では6年間の医学過程に一本化され、入学試験も一本化されたが、この入学試験もまた厳しいものがある。多くは何年間か浪人しながら、医師になるための予備校で勉強する場合が多い。

ここに述べる症例は初診時18歳の少女である。17歳からてんかん発作が発症した。発作は全身けいれん発作で、その頻度は年間で1-2回程度であった。高校時代の成績は優秀だったかどうか、私にはわからないが、診察場面では特に優れている人のような印象は受けなかった。バルプロ酸800㎎、カルバマゼピン400㎎治療したが発作は完全には治まらなかった。1年間の浪人生活とその間、医学部受験のために予備校に通った。そして首尾よく某医科大学に入学した。合格したと報告を聞いた時、良かったと私は思った。その後医学部6年間の間に数回の発作があったが、無事国家試験も通って医師免許取得した。その後2年間各科の臨床研修も終え、精神神経科を専攻することになった。

その頃より、発作は軽くなったが頻度はむしろ増加した。けいれん発作はなくなり、倒れることはなくなったが、意識が失われるだけの短い発作に変わった。急に頭が真っ白になり、相手の言葉がわからなくなり、20-30秒、動作・思考が止まる複雑部分発作である。

発作は軽くなったので他人には気づかれずに済むこともあった。本症例は前頭葉てんかんであり、脳波には左前頭部に発作波がみとめられた。ラモトリジンなどの新薬を試みたが効果はなかった。

医師でてんかん発作を持っている患者は私の知っているだけでも4-5人いる。医師になる前から発作を持っていた人も、また医師になってから発作を起こす人もいた。しかしみんな何の障害もなく仕事に励んである。

確かなことはてんかんという病気は、人を選ばない、ドクターであろうが政府高官であろうが誰でも起こりうる。またてんかんがあったとしても、その人の力と努力次第でどんな仕事にでもつけるということである。

「成人期てんかんの特色」大沼 悌一

(この記事は波の会東京都支部のご許可を得て掲載しているものです。無断転載はお断りいたします。)

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